The Athenian Schoolに再挑戦
退寮と先生方の想い
退院後、私はすぐに寮を出されてしまいました。退院したのはちょうど3月の春休みに入る前ということもあり、先生からは日本に帰って親元で過ごした方がいいと言われました。北米の学校は生徒の言動にとても敏感で、「自殺」と口にしただけでもセラピーへの通院や、退学させられることもあります。それは、学校が生徒を突き放しているのではなく、根本を解決しないとまた繰り返してしまうこと、また、その解決には親と子の対話が必要であるからです。子供が欲している優しさは、誰からでもいいわけでなく、親からの愛情が必要です。特に、日本や中国、韓国などアジア圏の親子は、親子間でのコミュニケーションを取るのが苦手なご家族も多く、意思疎通ができないことで子供が心を閉ざしてしまうことも見受けられます。それを積み重ねてしまうと、子供はいつか悲鳴を上げたくなります。しかし、どう親に伝えたらいいのか分からずに、私のような行動をとってしまうことにも繋がりかねません。親子での対話は、親と子の成長過程にとって必要なことだと、この経験から実感しました。
チャンスは誰にでも与えられる
退院後は父が泊まるホテルで過ごし、このままアメリカで転校するのか、それとも日本に帰るのか、父と何度も話し合いました。当時、日本こそ居場所がないと感じていた私は、どうしても日本には帰国したくありませんでした。また、「ここで諦めるのは・・・」と、私はアメリカに残り、もう一度The Athenian Schoolに戻るという決断を父に伝えました。学校に居づらくなるのではないかと、父は大反対しましたが、反対を押し切って、私は自分の決断を曲げませんでした。学校の先生からは、半年間しっかりとセラピーを受けること、そして9月にもう一度願書を出すことを条件に出されました。
日本には戻らず、以前お世話になったシアトルのホストファミリーと過ごしながら、週2回セラピー、TOEFLの勉強、通信教育で中学3年生の勉強をしました。半年の間に英語力も伸び、また、一度挫折を経験したことで、精神的にも強くなったと感じました。半年後、セラピーの先生に私の状態について手紙を書いてもらい、再度The Athenian Schoolに願書を出しました。
私の受け入れについて、先生方はミーティングを重ね、最終的に再入学を許可してくださいました。「チャンスは誰にでも平等に与えるべき」、「新しい環境でこういうことは起こりうる」と、先生方は私に再チャレンジする機会を与えてくれました。もちろん私の行動は取らない方がよかったものではありますが、むしろ挫折を経験し、自分でどうしたいのか考え、再度チャレンジしたことで、私は精神的にも強くなれ、前に進むことができたと思っています。
人一倍の苦労を覚悟しての復学
私はこれまでの分を取り戻すかのように、チューターをつけたり、放課後のスタディアワーを使って必死に勉強しました。学校に通えなかった期間に通信で中学3年生の勉強をしたとはいえ、やはり実際に復学すると、想像以上に苦労しました。
また、学校生活を再スタートさせる中で、交友関係にも変化が出ました。留学当初は日本人の友達にこだわっていましたが、復学後は国籍を気にせず、気の合う友達と付き合うようになり、アメリカ、タイ、台湾等さまざまな国籍の友達が増えていきました。
復学後に、勉強面でも精神面でも大変なことがあることは覚悟していましたが、再スタートした学校生活の中で気づいたことは、「周りのことは気にせず、自分のペースで着々とやればいい」ということ。それに気づけたことで、とても気持ちが楽になり、大変なことも多いけれど、それも楽しみながら留学生活を送ることができるようになりました。
次回は英語の上達方法や中学・高校留学で培ったものについてお話いたします。