冬休み前の交通事故
少し学校生活にも慣れてきた冬休み前、友達の運転していた車で交通事故に遭ってしまいました。幸いにも友人3名は軽傷でその日のうちに退院。しかし、私は「背骨が折れている」と衝撃的な言葉を医者から告げられました。実際には背骨がずれただけで済んだのですが、動くこともできず、1ヶ月半の入院生活を送ることになってしまいました。
事故後、父に連絡がついたのはなんと事故から2、3日後でした。当時海外の工場立ち上げで忙しかった父と渡米を迷っていた母への気遣いから、「来なくていい」と私は両親に伝えました。その代わりに、学校の先生や友人が交代で通訳や看病をしてくれました。親に頼らずに入院生活を送ることができたのは、先生との距離が近く、とてもアットホームな環境であったことが関係しています。
北米の学校では、先生や職員がキャンパス内に家族と一緒に住んでいることもあります。The Athenian Schoolも約5割の先生方がキャンパス内に住んでおり、カフェテリアで夕食を取っていると、先生が家族連れで来たり、犬を連れてキャンパスの敷地内を散歩していたり、授業以外でも先生方とコミュニケーションを取る機会が多くありました。そのような環境の中で、自然と英語力もつきますし、常に先生との距離が近くなり、とてもアットホームな環境の中で、寂しいと思うこともなく過ごすことができます。日本では先生と対等に話すことは考えられませんが、北米ではこのような環境から、先生と生徒の距離が自然と近くなり、対等に話すことができ、悩みごとも相談しやすい環境があります。
焦りと挫折
1ヶ月半の入院生活が終わると、ただでさえ英語力が間に合っていないのに、更に勉強が遅れてしまったことに、焦りを感じました。当時の私は人見知りもあり、友達は限られた人だけでしたので、自分の部屋に閉じこもっている時間も多かったように思います。そんな不安と、なかなか親に甘えることもできない寂しさから、自殺未遂を図りました。寮母さんがいつものように生徒の部屋の様子を見に来た時に私を見つけ、すぐに病院に連れていかれました。命に別状はありませんでしたが、すぐに親が呼び出されました。
忙しいにも関わらず、翌日に飛んできた、父の「なんで」という表情は今でも忘れられません。これまで優等生だった私に対する困惑やショックが伝わってきて、父の表情を見たときに、はっと我に返り、「こんなことをやっている場合じゃない」と気づきました。私も今では二人の子の親となり、当時のことを振り返ると、両親の離婚でつらい思いをしたのは確かですが、親にも親の人生があるということ、何よりこつこつ働いて私の留学をサポートしてくれた父の想いが、今となっては理解できます。
次回のブログでは、高校への復学についてお話しします。