私の波乱万丈な中学・高校留学①

留学しようと思ったきっかけ

中学2年生の夏、アメリカ・シアトルで2か月ほどホームステイを体験し、日本とはまったく異なるアメリカの解放感や自由さに惹かれ、自己主張の強い私にはアメリカの環境が合っていると感じました。
当時、親が離婚、再婚をし、少し居場所のなさも感じていた私は、「思い切って海外に出てみよう!」と、シアトルから帰国後、すぐに父親にアメリカ留学の希望を伝えました。反対されるのを覚悟していましたが、「行きたいならば留学手続きは自分で行いなさい」と言われ、父は逆に私の背中を押してくれました。


自分の力で夢を叶えた
アメリカ留学

“自分で考えることが大切”だと気づいた願書の提出
当時中学2年生の私には学校選びができるような知識もなく、商社出身の父の友人からサンフランシスコにあるボーディングスクール The Athenian School を紹介してもらいました。
願書といっても、すべて英語で準備しなければならず、アプリケーションに、推薦状、成績表、TOEFLにエッセイと、準備することは山ほどありました。TOEFLも会場探しから始め、1人で受験に行きました。留学エージェントの存在も知らず、知識のない中、手探りで出願準備を進めるのは本当に大変でした。

また、願書の準備の中でも特に印象に残っているのは、エッセイで、「好きな本について」でした。なぜその本が好きなのか、またそこから学んだことを英語で書く必要があり、願書の提出プロセスまで、日本の仕組みとは違い、“自分で考えること”が大切なのだと実感しました。

“インタビューの主導権を握る”
 国際電話でのインタビュー

願書の提出が終わると次の関門は、インタビューでした。当時は今みたいにSkypeやZoomもない時代でしたので、国際電話でインタビューを受けました。しかし、中学2年生の私は英語力も十分ではなく、電話では相手に自分の表情や身振り手振りも伝わらないことに少し不安を覚えました。
そこで考えたのは、“どうやったら自分がインタビューの主導権を握れるか”。質問されてから内容を考えて、英語で答えるには、自分の英語力はまだ十分ではなかったので、質問されるだろう内容を予想して、すべての答えを事前に用意し、前もってできる準備をすべて行いました。いざ、電話インタビューが始まると、「自己紹介をさせてください!」と、性格や夢、志望動機や趣味、週末の過ごし方など、質問される前に自分からすべて話しました。

後に、面接を担当してくださった先生から当時の私の印象を伺いましたが、その当時、留学生の中で英語力は一番足りなかったけれど、インタビューやエッセイを見て、自分の力でいろいろ準備してきた過程を評価して下さったこと、また、当時中国本土からの留学生はめずらしく、私のバックグラウンドを見て、「この子にかけてみよう!」と合格をくださったと聞きました。

学校の先生方は単に成績や英語力のみで生徒の合否を判断するのではなく、その子のバックグラウンドや、やる気を見て判断、チャンスを与えてくれます。成績や英語力の部分で留学に今一歩進めていない生徒様には、ぜひ、私の経験を読んで、思い切ってチャレンジしてもらいたいと思います。

次のブログでは、私の留学生活についてお話ししようと思います。

プロフィール
カナダ・バンクーバーで留学会社を経営しながら、
4歳と4カ月の2人の子育てをする母親です。中国人の母と日本人の父の間に生まれ、日本語、中国、そして英語のトリリンガル。中学2年生の時にアメリカに留学し、そのままアメリカで大学進学、就職しました。アメリカ留学での経験、海外での子育ての楽しいエピソードや困ったこと、日本との違いなど、現在私が経験していることもお伝えします。

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